<POINTS>
- 紛争地域では医療施設の破壊と医療物資の不足により、適切な感染症対策が困難となり、広域スペクトラム抗菌薬の多用による新たな耐性菌の増加リスクが高まっている
- 紛争などによる環境汚染、特に重金属汚染は細菌の耐性獲得メカニズムに影響を及ぼし、従来とは異なる耐性メカニズムの出現を促進する可能性が指摘されている
- 強制移住者を含む国際的な人の移動により、薬剤耐性菌が国境を越えて伝播するリスクが高まっており、世界各国のAMR対策に新たな課題をもたらしている
- 日本国内でも海外由来の耐性菌が確認されており、グローバル化時代における健康安全保障として、国際的な耐性菌の動向監視と多言語対応を含む医療の国際化が急務となっている
薬剤耐性(AMR: Antimicrobial Resistance)は人類が直面している最も深刻な健康上の脅威の一つといわれており、日本を含む先進国では基本的な衛生管理や院内感染対策、高度な医療設備等を基盤としたAMR対策が展開されています。一方、紛争地域では医療制度の崩壊により、AMR対策が極めて困難になっています。紛争地域では、目の前にある命を救うための治療が何より優先され、AMR対策を含む感染症対策の優先順位が下がりがちです。しかし、まさにそのAMRの影響で、治療の選択肢が限られることがあります。くわえて、耐性菌は国境を越えて広がるため、国際社会で対策を講じることが不可欠です。そのため、グローバル化が進む現代において、海外諸国のAMR対策の状況は日本の私たちも注視すべき重要な課題です。
AMRアライアンス・ジャパン(事務局:日本医療政策機構)では、薬剤耐性対策の政策推進に向けて、国内外のAMRの患者・当事者と共に活動してきました。活動の一環として、2021年からAMR対策に関わる患者・当事者や市民の声を集めています。これまでの「当事者の声」では、紛争地で医療に従事した医師の経験を通じて、AMR対策の重要性についても紹介しました。
本稿では、人の移動とAMRという視点から、紛争地域におけるAMRの実態と、海外諸国及び日本の医療や健康安全保障に与えうる影響を概観します。
医療施設の破壊がもたらす課題
近年、ガザ地区などの紛争地域では医療施設への攻撃が発生しており、AMR対策を大きく阻害しています。微生物検査施設が破壊されると、感染症発生時の病原体同定や薬剤感受性試験を適切に行うことができなくなります。適切な抗菌薬の選択が困難になるため、多くの細菌に効果を示す広域スペクトラム抗菌薬が多用されがちになり、新たな耐性菌の増加を招くリスクが高まります。
既存の医療施設が機能しなくなった地域では、医療サービスへのアクセスが制限され、設備が整わない環境での診療を行わざるを得ない場合があります。そのような環境では、衛生管理に必要な物資や人手が不足し、ゾーニングや手指衛生も満足できるものでは無くなる可能性も高まります。また、医療廃棄物の適切な処理も難しくなる場合もあり、紛争による環境汚染(重金属や水質汚染など)を通じた新たな耐性菌出現が懸念されています。
ガザ地区の例:医療物資の不足がもたらす不完全な感染症対策
ガザ地区では、紛争の激化に伴う道路封鎖や病院への攻撃により、深刻な医療物資不足のなかで感染症対応を行わざるを得ない状況です。医師たちは十分な消毒薬を使用できず、蛆が湧いた傷口の治療に「酢」を用いるなど、極めて厳しい環境に置かれています。国境なき医師団の疫学者Krystel Moussally氏は「傷口は長期間閉じることができず、負傷者は適切な治療を受けられないことで感染症リスクが増加し、薬剤耐性の出現リスクも高めている」と述べています。このような細菌による感染症は一般的な抗菌薬では治療が困難であり、重症化した場合には四肢の切断や死亡につながる場合もあります。
環境汚染や気候変動がAMR対策に与える影響
紛争による環境破壊、とりわけ重金属による環境汚染は、細菌の耐性獲得メカニズムに影響を与える可能性が指摘されています。紛争地域では、武器や爆発物、軍用車両から放出される鉛、水銀、クロム、銅、ニッケル、亜鉛などの重金属が環境中に蓄積し、人間だけでなく細菌に対しても毒性を示します。細菌がこれらの物質に対抗するための防御機構を発達させる過程で、重金属と薬剤耐性遺伝子が関わり合い、新たな耐性メカニズムの出現を促す可能性があると考えられています。
また、気候変動も紛争下のAMR対策を複雑化させる要因です。紛争によって医療施設や水処理施設、排水システムなどの社会インフラが破壊されると、もともと気候変動の影響で増加している洪水や異常気象の被害を直接受けやすくなります。洪水が発生した際には、機能不全に陥った下水処理施設から薬剤耐性菌を含む汚水が流出し、生活環境に拡大するリスクが高まります。さらに、気温上昇は細菌の増殖を促し、細菌間の耐性遺伝子の伝達を加速させることが知られており、AMRの拡大への懸念が一層高まっています。
国際的な人の移動と日本社会への影響
グローバル化が進むなかで、国際的な人の移動は感染症対策やAMR対策を考えるうえで欠かせない視点です。なかでも深刻な問題として、紛争や迫害により移動を強いられた人々である強制移住者(FDP: Forcibly Displaced People)の健康管理が挙げられます。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR: United Nations High Commissioner for Refugees)の2022年の報告によると、世界では約1億800万人(世界人口の1.4%以上)が強制移住を経験しています。そのうち半数以上は、近年大きな紛争を経験しているアフガニスタン、シリア、ウクライナの出身者です。強制移動の過程では医療へのアクセスが制限され、不適切な居住環境に置かれる場合が多く、強制移住者は深刻な健康リスクに直面します。その1つが耐性菌の保有・伝播に関わるリスクです。欧州の移民を対象とした薬剤耐性菌の保有状況に関するシステマティックレビューでは、強制移住を経験した人々を含む移民グループは、薬剤耐性菌の保有率が有意に高いことが示されています。
国際的な人の移動は、日本のAMR対策にも影響を及ぼします。日本は年間約3,200万人の訪日外国人を迎えており、その一部には南アジアや東南アジアへの渡航歴を持つ人も含まれます。南アジアや東南アジアへの渡航後には多剤耐性腸内細菌を高率に獲得することが報告されており、実際にオランダの研究では南アジアへの旅行者の75.1%が、旅行中に多剤耐性腸内細菌を獲得していたと報告されています。
さらに、十分な日本語能力を有さない患者との間に言語の壁があることで、服薬指導が正確に行えず、「抗菌薬は必ず最後まで服用する」といった重要な指示を伝えきれないことがあります。日本の病院薬剤師への調査では、外国人入院患者とのコミュニケーションにおいて言語の壁を感じ、「最低限のことしか出来ていない」と回答した薬剤師が72%以上にのぼることが示されています。翻訳機を使用してもお互いの意図が通じづらく、患者が状況を真に理解していなくても返事をしてしまう場合や、医療用語の形式的な翻訳では患者に十分に意図が伝わりにくいといった難しさも指摘されています。特に、英語以外の多言語(ポルトガル語、中国語など)では、地域による意味や言い回しの違いが翻訳を難しくすることもあり、言語や文化の違いがときに相互理解を妨げる要因となる可能性も示唆されています。こうした不完全な治療は、耐性菌を選択的に生き残らせるリスクとなります。日本の医療機関においても、医療通訳の不足や多言語対応の限界が指摘されており、訪日外国人の増加を考慮すると、AMR対策の一環としても医療の国際化を進める必要があります。
国内での耐性菌の動向
日本国内でも、海外由来の耐性菌(これまで主に国外で流行していた耐性菌)が確認されています。例えば、特定のカルバペネム耐性腸内細菌目細菌(CRE: Carbapenem-Resistant Enterobacterales)やカンジダ・アウリス(Candida auris)など、高病原性の微生物についても国内の医療機関で海外株が報告されており、医療現場での新たな対応が求められています。
これらの耐性菌は、必ずしも紛争地域から直接もたらされたものではありませんが、グローバル化に伴い人やモノの移動が増加するなかで、世界各地の耐性菌が予期しない経路を通じて伝播しうることを示しており、日本におけるAMR対策でも国際的な視点を持つことの重要性が改めて示唆されています。
おわりに
紛争地域のAMRは、一見すると遠い地域の課題のように思えますが、グローバル化が進む現代では私たちの健康安全保障にも直結する課題です。紛争による医療インフラの崩壊、環境汚染、国際的な人の移動など、複合的な要因がAMRの拡大に繋がっています。
日本の医療機関では高度な感染対策が実施されていますが、新たな耐性菌や耐性メカニズムへの対応は今後の課題として残されています。紛争地域における環境汚染や抗菌薬の不適切な使用は、従来とは異なる耐性メカニズムの出現を加速させる可能性があり、その動向を継続的に監視していく必要があります。
今後は、国内における耐性菌の動向を注意深く把握するとともに、国際的な人の移動がもたらす新たな感染症リスクへの対応を一層進めていくことが求められます。これは単なる短期的な治療上の問題ではなく、持続可能な保健医療システムを維持するための重要な課題です。
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- Moussally, K. (2024). Gaza bombardment worsens superbug outbreaks [Interview]. The Bureau of Investigative Journalism. Retrieved May 1, 2025, from https://www.thebureauinvestigates.com/stories/2024-11-19/gaza-bombardment-worsens-superbug-outbreaks
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【執筆者のご紹介】
塚本 正太郎(日本医療政策機構 シニアアソシエイト)
コ ゲール(日本医療政策機構 プログラムスペシャリスト)
ケイヒル エリ(日本医療政策機構 アソシエイト)
河野 結(日本医療政策機構 マネージャー)
